あにくんこと伊藤 芳浩(いとう よしひろ)のプロフィールです。

1979 年 4 月生まれ
岐阜県加茂郡八百津町出身

生い立ち

小学校低学年に同じ分団の小学校高学年と遊んだ際に、なぜか豆電球と乾電池があり、電池に豆電球をつなぐと光ることに興味を持ち、以後小学 2 年生ではお道具箱に乾電池や豆電球等を持って小学校に登校していた。
田舎の自宅では木の棒とビニールテープで道路の高圧送電線と電柱を模して空き地や車庫等至る所にビニルテープを張り巡らせていた。
小学 3 年生では愛知県一宮市の模型店でイヤホンで聴く 2 石の AM トランジスタラジオのキットを買ってもらい、これまたなぜか家にあった半田ごてで半田付けの練習をしながらなんとか完成。
その後壊れたラジカセ等を分解して中身を確認したり、壊れた AM/FM チューナーとコンポを何をしたのか修理して動くようにし、FM ラジオで音楽を聴くようになる。
当時の愛読書は電波新聞社の「ラジオの製作」。

中学校の夏休みの工作ではデジタル時計や 3 端子の AM ラジオ IC を使用した AM ラジオを製作。
電子部品の調達先は、岐阜県美濃加茂市山手町にあった無線機屋さん(店名忘れ)で入手。
他には壊れた機器から部品を取り外して再利用したり、特殊な部品、例えば AM ラジオの 3 端子 IC はカプセルトイ(方言!?で当時ガチャガチャと言っていた)でたまたま入手できた腕時計型の AM ラジオを分解して入手したりしていた。
その後、友達の電気に詳しいお父さんから名古屋大須に電気街があると聞き、大須第 2 アメ横ビルにあったタケイムセン等でも調達するようになる。当時はインターネットもなく田舎ではこういった情報はなかなか入手できなかった。。。
機材面では中学校のパソコン室に富士通の「ハイパーメディアパソコン」と謳っていた FM TOWNS が配備されたため、親に頼んで FM TOWNSII HR 一式を購入。
当時の愛読書は電波新聞社の「マイコン BASIC マガジン」とソフトバンクの「Oh!FM TOWNS」。
FM TOWNS の F-BASIC386 がないと本格的なプログラミングができないことを知り、親に頼んで追加購入。雑誌に掲載されているプログラムを手入力でして BASIC 言語の書き方を習得。
中学校のソフトテニス部の傍ら、自宅とクラブ活動のパソコンクラブにも属して 1 人でプログラミングから MML による作曲、CG 等すべてを手がけ 1 年間程度をかけて「Gold Quest」なるオリジナル RPG 大作!?を作成。
※ただし卒業記念のタイムカプセルにも 3.5 インチフロッピーディスクに収めたが水没しており、また自宅で保管していた 3.5 インチ MO もメディア不良で読めなくなり完全消失。。。

高校は工業高校の電気科に入学。
機材面では当時のマシン語でデファクトスタンダードの Z80 互換を搭載したシャープのポケットコンピュータ(通称ポケコン)を入手。C 言語も対応しており C 言語も習得。
「マイコン BASIC マガジン」に掲載のプログラムを入力したり、BASIC 言語でオセロゲーム(ポケコンの画面の解像度が足りず 6 マス× 6 マスの変則的なミニオセロ)を作成。
「ラジオの製作」に掲載されていたポケコンのシリアルインターフェース(RS-232-C)を作成し、パソコンのターミナルソフトと通信してプログラムの Load/Save が容易にできるようになった。
これでポケコンの電池が切れても、アセンブラ言語で暴走しても安心。
また、ポケコンの仕様書が職員室にあり、外部インターフェースの製作例があったため、パソコンに接続する ESC/P 規格に対応したプリンタと接続できるインターフェースを作成し、汎用プリンタで印刷できるようにもなった。
その他機材面では、地元中学校に赴任した先生にも FM TOWNS の使い方等を教え、先生のおごりで新品の 3.5 インチ MO ドライブをもらったり、中学校当時の担任の先生から不要になった HDD が搭載されていない PC-9800 のモノクロノート PC を譲渡してもらい、BIOS に標準搭載されている N88-BASIC も触っていた。
FM TOWNS/PC-98 で MS-DOS のバッチファイルの書き方も習得。
高校では、岐阜県が開催していたアイデア作品展で当時禁煙場所を周知する装置を製作し知事賞をもらったり、神戸で開催されたソーラーカーの大会に参加。
ようやくインターネットも流行はじめ、HTML を習得し、HTML 手打ち+FM TOWNS のフリーソフトのレイトレーシングソフト EASTRAY 等で立体的なアイコン画像を作成して高校のホームページも作成。
当時は常時接続ではなく INS ネットによる接続でプロバイダのホームページ領域へは都度 PPP 接続してアップロードしていた。
自宅では高校の先生にアナログモデムを借りて FM TOWNS で当時の NIFTY-Serve のパソコン通信していたが、途中から INS ネットによる常時接続ができるようになり、電話回線を占有することなく 64kbps の「高速」通信回線を確保。ADSL も出始めていたが田舎のため対応不可。。。
Vector でフリーソフトが公開されるようになり、LSI C-86 試食版を入手して C 言語の更なる理解を深める。
愛読書は CQ 出版の「トランジスタ技術」。
高校で論理回路を習得できたので、AC100V から電源トランスを介して電圧を下げて LM7805 による 5V の安定化電源を作成すると共に、1/60 分周して 1Hz を生成し、電源同期型のデジタル時計を作成。

大学は工学部機械システム工学科に入学。
サークルには参加せず、プログラミングや電子工作に没頭。
NIFTY-Serve でもホームページ領域が割り当てれるようになり、自身のホームページ「あにくんのホームページ」を開設。
タケイムセンで秋月電子のキットを購入しては製作しより高度な電子回路の知識を深めていた。
ちょうど Microchip Technology の PIC マイコンが流行はじめ、秋月電子で PIC16F84 の開発キットを入手してマイコンのファームウェア開発方法を習得。
当時のパソコンからようやく USB ポートが使用できるようになりつつあったが主流はシリアルポートとパラレルポートが必ず付いており、ベンダー純正の PICkit のような PIC ライターがなく、パラレルポートに接続するタイプのライターを自作する必要があった。その後シリアルポートで外部電源なしで書き込み可能なライターも有志で考案され、しばらくそれを使用していた。
FM TOWNS 用の PIC16F84 専用のライター制御ソフトも作成し公開。
また、FM TOWNS 関連では自身のマウスも調子が悪くなっていたため、PS/2 マウスや PC-98 のバスマウスを FM TOWNS で使用できるようマウス変換器を作成し公開。FM TOWNS と同規格の MSX や PC-88 等でも使用可能。MSX 関連で一時は地球の裏側のブラジルの方からも問い合わせが来たこともあり、つたない英語のマニュアルも同梱した経緯あり。

会社に就職し、電子部品調達面では新幹線で東京方面に出張することも多くなり、帰りに時間があれば秋葉原の電気街にも足を運ぶようになる。
自宅回線も当初は INS ネット回線のままだったが、ケーブルテレビが町内で利用できるようになり、都会から遅れること 5 年?いわゆるブロードバンド回線になった。
独自ドメイン anikun.net と kutami.jp を取得し、Windows Server や Linux も習得。一時は自宅サーバーも立ち上げて終夜通電でホームページとメールのサーバーを構築して運用(しかしハードウェア更新や電気代を考えると運用コストが高いことから現在はレンタルサーバーに移行)。

コロナ禍になり、ここ最近はもっぱら通販で電子部品を調達し、3D プリンタや CNC ルーターといった機材も調達し、ある程度のことは自宅で完結できる環境を整えた。
最近は Raspberry Pi を活用したガジェットの製作、マイコン関係では Arduino や ESP32、M5Stack 等の登場によりフルスクラッチでマイコンを使った電子工作の頻度は少なくなってきているが、米粒マイコンの PIC10F222 や ATtyny10、安売りされている AT90S2313 等を活用し、実用的なものの製作や、いかに安く小型に製作するかといったことにも挑戦しつつ、現在に至る。
 
作成日
2024/01/05 16:15
最終更新日
2024/01/07 15:18